「真の成功は試された後に得られる②」~犠牲は大いなる祝福~
当時の私はクリスチャンとなることで、人生の目的を知り、生きる希望を見出し、また私にとってあり得ないほど素晴らしい職場に出会えてまるで毎日お花畑にでもいるように「バラ色の日々」を送っていましたが、そんな時に、同じ教会員である兄から毎日顔を見るたびに「伝道に出なさい」というチャレンジを受けるようになりました。伝道に出ることはクリスチャンとして重要なことであると知っていましたが、新しい仕事は年齢が若い割に、良いサラリーをもらっていましたし、幾つかの良い待遇と職場の環境を心から愛していた私には、伝道に出るために、会社を辞めることは全く考えられませんでした。私は毎日私の顔を見るたびに聞く、兄の「伝道に出なさい」という言葉を聞くのが本当に嫌でした。それはつまり、「お前は仕事を辞めて、今ある素晴らしい幸福を諦めなさい」と言ってるように聞こえたからでした。いや、今から考えると、実際には兄の言葉が嫌なのではなく、兄の言葉が痛かったのです。それはつまり、兄がいう真理の言葉が当時この世のものに執着していた私には「辛かった」のです。しかし、当時の私は、「もし私が伝道に出るなら、神から私に与えられるであろう溢れるばかりの信じがたい大いなる祝福と幸福が準備されているとは知らなかった」のです。
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