皆様、こんにちは!

さて、いきなりですが、 皆様は、私たち日本人が身近によく使う「もったいない」という言葉が「MOTTAINAI」として世界の共通語になっていることをご存じですか?

 

「もったいない」は世界共通語

日本語の「もったいない」という言葉は2004年にノーベル平和賞受賞のケニア出身のワンガリ・マータイ氏を通して今やエコロジストにとっての世界共通語となっています

女性環境保護活動家であるワンガリ・マータイ氏が日本に来た時に「もったいない」という言葉を知り、その後 世界的に「もったいないキャンペーン」を始めたことでも話題になりました

どうして、日本語の「もったいない」という日本人が日常よく言葉にするこの言葉が世界的な言葉となったのでしょうか?

一つは、日本語の「もったいない」という言葉に該当する言葉が世界にはなかったからです。

もちろん、物質的な物に対する「もったいない」という言葉は世界中にあります。

英語では「wasteful」や「sacrilegious」がそれに相当する言葉となりますが、日本語の「もったいない」という言葉には世界各国にある物質的な物に対する「wasteful」や「sacrilegious」以上の意味があるとされています。

 

 

 

「もったいない」とは?

日本の「もったいない」には物事に関する「節度」神仏に対する「畏れ」、また周りから何らかの恩恵を受けた時の「感謝」が含まれています。 マータイさんは日本に訪れた時にこの「もったいない」という日本独特の感性が込められたこの深い言葉にとても感銘を受け、国連でこの言葉を紹介したことで世界的な言葉となったのです

 

 

 

❖語源にある3つの意味

では「もったいない」という言葉の語源、またその語源の元となる起源はどのようにして生まれたのでしょうか?

またどうしてこのような言葉が世界にないのでしょうか?

日本語の「もったいない」には以下3つの意味が含まれています。

 

①神仏・貴人に対して不都合である。不届きである。

②畏れ多い。かたじけない。ありがたい。

③むやみに費やすのが惜しい。

 

  世界に共通する「wasteful」や「sacrilegious」という意味は、主に③番目の「物」に対する「節度・節約」を意味する言葉ですが、日本人はそれだけでなく、神仏に対する「畏れ」や施しに対する「感謝」という深い理解を概念としてだけでなく、文化、風習、または日本特有の宗教感の中に生活の一部として刻まれてきたのだと思います。

 

 

❖事例

 

例えば日本の料理で「ホルモン」と呼ばれる牛や豚などの主に内臓を調理する料理がありますが、これはもともと大阪で普段使われる「ほるもの」つまり「捨てる物」「要らない物」が語源となっているという説があります。

私は大阪出身ですが、大阪には物心ついた子供のころから身近に「ホルモン屋」さんがあちらこちらにありました。

現在私は札幌に住んで17年になりますが、ずっと以前 今から35年前にボランティアで北海道に2年間住んだことがありました。

そして、35年前の当時、どこを探しても私の知る限り北海道各地を2年間をかけて回りましたが、大阪のローカルフードの「ホルモン屋」さんを見つけることが出来ませんでした。

ただ、たった一度だけ「北見」に住んだときに一軒だけ「ホルモン屋」さんを見かけたことがありましたが、その当時私が理解したのは「ホルモン」つまり牛や豚の内臓を食べる習慣があるのは大阪(関西)が主流だったのか、ということに気付いたのを時々懐かしく思いだします。

そして、そのことを思い出す時に諸説ありますが、「ホルモン料理」の語源となったその名前の由来が、大阪の「ほるもん」(捨てる物、要らない物)から来ているというのはあながち間違っていないように思います。

すみません、ちょっと余談が長くなりました、日本では「ホルモン料理」だけではなく、「兜煮」と言われる、海外では捨ててしまう魚の鯛や、ブリ、マグロなどの魚の頭を使用した料理などもあります。 海外の人は魚の頭だけの料理がレストランで出されるときに、海外では捨ててしまう部位が料理として出てくることに外国人は大きなカルチャーショックを受けると聞いたことがあります。

このようなところからも、昔から日本人は物に対する感謝を「もったいない」という言葉に残すだけではなく、言葉の意味を体現して生活の一部、また文化として、天から与えられた恵みに対し、また命を犠牲にしてくれる全ての生命に対して、感謝し、節約し、無駄を極力省き、畏れかしこんできたのだと思います。

私は子供のころお茶碗に付いた米粒を残したまま食事を終えようとする時によく母から「米粒を残したら目がつぶれる」「食べ物を残したら作物を収穫した農家さん、また漁師さんに申し訳ない」とよく叱られた思い出がありますが、皆様も同じような経験があるのではないでしょうか?  

 

 

世にはびこる様々な「もったいない」

では、この日本語の語源となる「もったいない」という言葉を日本の言葉の定義に基づいて考えるときに皆様の周りにはどのような「もったいない」があるでしょうか? 探せば皆様の身近なところにも「もったいない」は沢山あるのではないでしょうか?

皆様の周りにある身近な「もったいない」は皆様にお任せするとして、このブログでは「日本にはびこるもったいない」そして「世界にはびこるもったいない」を考えてみたいと思います。

 

 

【日本にはびこる「もったいない」】

 

少し考えるだけでい様々な「もったいない」が見えてくると思いますが、あくまで日本の国全体で見たもったいないを想像していただきたいと思います。 一部ですが、日本における非常に「もったいない」を下記に箇条書きしました。

  • 公共事業費年間約7兆円(第3セクター運営含む)
  • これらの公共事業の60%は借金で運営(2,1兆円)

また、莫大な税金を投じたのに多くの第三セクターは開業後間もなくして閉業に追い込まれています。 毎年政府は採算が見込めない事業を閉業していますが、まったく機能しなかった無駄な第3セクターの運営を中止することで

  • 99年92か所公共事業見直し削減費2,805億円
  • 2000年47か所公共事業見直し削減4,021億円

を削減しました。

しかし、これらのお金を削減しても年間の公共事業費に換算するとたった2%しか削減出来ていない。   また、莫大な税金を投じて運営を始めた第3セクターをクローズするためにもまた多額の税金を投じています これらを金額に入れると一体どれくらいの額になるのでしょうか?

またその他にも

  • 年間ごみ不法投棄処理費1兆円(年間ごみ処理費2兆円(国民一人当たり17,900円))
  • 外灯電気代に年間2000億円

ざっくり言うと日本の全ての公共事業費だけで年間約7兆円というとんでもないお金がかかっていますが、この額は世界の先進諸国7カ国のGDP比(国内総生産)で換算するとなんと日本の公共事業費は2倍の額に相当します。

もしこの年間の公共事業費を世界の先進諸国並みの半分に削減出来れば日本国民が支払う消費税の2%を削減することが出来る額となります。

ちなみに、これまで世界一公共事業にお金を費やしているのはGDP世界第二位の中国と思っていましたが、実は中国は自国のGDP比で見ると公共事業に費やす額は4.8%でしたそして、世界一のGDPを誇るアメリカはもっと多いと思いましたが、以外にも低く2.4%でした

 

そこで気になるわが国ですが、 日本はなんと世界第一位のGDPを誇るアメリカと第二位の中国をはるかに上回り、なんとGDP比で約6.0%というかなり高い額が公共事業に費やされています。。

 

これら日本の「もったいない」は世界的な各国の公共事業費の基準からすればあり得ないほどの金額です。 ( ※データはいずれもマイクロ提供するAI Copilot調べ)

 

 

【世界にはびこる「もったいない」】

しかし、世界的な「もったいない」はこれ以上です。   アメリカのイラク戦争での戦費は17兆円 2008年以降アメリカの戦費は67兆121億円

またアメリカブラウン大学の研究チームは、アメリカは2001年9月1日以降20年間でなんと戦費が8兆ドル(約880兆円)を費やしており、それに伴い戦争で亡くなった人々が90万人に及ぶという恐ろしい内容を報告しました
※引用元:https://www.asahi.com/articles/ASP92446HP91UHBI02J.html

戦争に関してはわが国も他人事ではありません。日本はイラク戦争時インド洋沖で国連軍の給油を行い5年間で570億円を出費しています。 また、現在実際の戦争に使用されていないことが唯一の幸いですが、日本は日本を取り巻く世界情勢の悪化から軍費における予算が2022年の5兆4000億円から2023年は6兆8219億円となんと1.3倍に増額され、日本の軍費は残念なことに11年間連続で増額されることとなりました   また、現在も進行形で行われているロシア、ウクライナ戦争ではロシアの戦争による損失を2月16日ロイターが以下の試算を叩き出しました。

 


[16日 ロイター] – ロシアがウクライナ軍事作戦のために使用する装備や部隊配置、維持の戦費が最大2110億ドル(約31兆円)に達し、武器輸出の取りやめや延期に伴う損失も100億ドル(1兆2000億円)以上に上っていると、米国防総省高官が16日、匿名を条件に明らかにした。 高官によると、2026年までの経済的損失は1兆3000億ドルになる見通し。また、これまで約31万5000人のロシア軍兵士が死傷した 引用元https://jp.reuters.com/world/ukraine/WN3AHLOAUFK3VLOP5UEJX42M7I-2024-02-19/


 

ロシアはこの3年間の戦争で少なくとも195兆円以上を失い、更にお金では換算できない尊い多くの命も失いました。しかし、これはあくまでもロシア側の損失でウクライナの損失は含まれていません

皆様、これだけの甚大で天文学的な無駄をどのように思いますか?   しかし、私はこれらすべてを合わせた以上に「もったいない」ものがあると考えています。(※人の命は金銭で比べられないので、ここでは物質的な無駄についてのみ考えたいと思います。)

 

 

【もっともっと「もったいない」もの】

これまで日本と世界にはびこる「もったいない」のごく一部を列挙してみました。 ただ、私は日本と世界にあるこれら膨大な「もったいない」2つを足したよりも、「もっともっと『もったいない』」ものがあると考えています。

皆様は、日本と世界を合わせた 金銭に換算すると天文学的な途方もない額となる「あり得ない『もったいない』」よりも「もっともっと『もったいない』」ものは何だと考えますか?

私は、上述した以上に「もったいない」この世のあらゆる物の中で一番「もったいない」もの、

それは、

「人の才能を使わないこと」

または

「人の才能を使えないこと」

 

だと信じて疑いません。           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世は英知ある人がもつ才能を活用していない

多くの人、企業、また組織は殆どの場合、あまり人の才能を使っていない、もしくはうまく活用出来ていません。 大抵の場合、たった一人、またはごく少数の組織の長が先頭に立ち、一人またはごく少数の「考え」「アイデア」を押し付けようとします。

決まり決まったルールを設けマニュアル通りの方法をトップダウンします。 (※多くの同意の上で、また多くの意見が聞き届けられた上で最終的に統一されたビジョンが立てられ、方向性を示すこととは全く別です) しかし、そのように行動や思考をトップダウン形式で強要された組織で働く従業員は「心の中」でこう考えます。

「もっとこうした方がロスが軽減され、効果的で更に生産性が高まるのに」

「もっとこうした方が、職場は楽しくり、人的資源を失わず(職場、組織になじめず去っていく人)結果的に様々なロスを削減出来るのに」

そしてそれが素晴らしいアイデアだと感じ、会社の益になれると思いワクワクしながらその思いを上司に伝えると上司はこう言うのです。

「そんなこと考えなくてもいい、お前は言われた事を言われた通りにすればそれでいいんだ!」

このようなストレートな言い方ではないにしろ、皆様はこのようなことを言われた経験はないですか?

もし、そのような経験があった皆様は、もしくは、そのような経験が無くても、もし、実際に上司からそのようなことを言われたとしたら、その後何か良いアイデアがひらめいても会社の利益になると分かっていても、皆様なら会社のためにもう一度提言するでしょうか?

多くの人は、そのようにはしようとせず、「いやな気持になる」のを避けるために、無言を貫き、「無難」な仕事に終始するという人は多いのではないでしょうか?   以前私はこのような経験を何度かしました。

立場が違うと見えない視点というものがあり、現場で働くものからすれば、様々な改善点が見えてくるものです。 そしてそのことを提言することで会社の利益になると思って仕事の生産性を考え上司に提言したことがありましたが、私は実際にこのようにストレートに面と向かって言われたのです。

 

「そんなこと考えなくてもいい、お前は言われた事を言われた通りにすればそれでいいんだ!」

 

実はこの言葉を言われたのは私でした(+_+) 私はその時とても強いショックを受けました。

なぜならそれまで私は会社にとって役に立っていると思っていましたし、私は必要とされていると考えていましたが、上司のその言葉で理解したことは、会社にとって必要なのは「私ではなく」、ロボットのように会社が定めた手順に従い、機械的に何も言わずただ動く人を必要としていたことが分かったからです。(※上司に提言したことで必ずそれが採用されるとは考えていませんでした。上の立場(視点)からすれば、現場から上がる提言が様々なものを考慮した場合、必ずしも最良のものになるとは限らないことも知っているからです)

もし、それが皆様なら、そのような環境の中で希望を持って楽しんで働けるでしょうか?

皆様の才能を活かす環境が   「ない」   と感じる職場やその他でも様々なコミュニティーに皆様は喜んで居続けるでしょうか?

もちろん、選択肢がない場合はいるしかないこともあるでしょう。

しかし、皆様の周りにもっと魅力的な選択肢があるなら、それでも皆様はその場に居続けるでしょうか?

恐らく、殆どの人は更に魅力ある場所(皆様の才能を発揮できる場所)に喜んで移っていくでしょう!

このようにして、衰退する企業、また組織は金銭で推し量れない壮大な宝と未来への可能性を失っていくのです。。

これは本当に「もったいない」ことです。

 

 

人の才能を使えない理由

小さな中小の企業でも世界に大きな影響を与える大企業でもその中枢、つまり企業を企業たらしめ、膨大な利益を生み出すその根本にいるのは一人の血の通った感情をもつ「人間」です。

組織を一つの「人体」と見立てた時に人を構成するそれぞれの器官(部署)、またそれぞれの部署に属する人々(細胞)が、活力を失い、傷つき、細胞とそれぞれの器官が病に蝕まれていくなら、いくら屈強な鋼の精神を持つ人であっても、健康に大きな代償を、場合によっては命に致命的な打撃がもたらされ死に至ることもあるのです。

どんな企業でも、またどんな組織でも、常に崩壊するときは外側ではなく、多くの場合内側から崩壊していきます。 目のまえの小さな成功に胡坐をかき、自分の働きを必要以上に過大評価することで、皆様の周りにいる英知達の才能を過小評価し、または価値のないものとして粗末に扱わないようにくれぐれも気を付けていただきたいと思います。

多くの企業、また組織の長が人の才能をうまく活用できない理由、それは人が持つ「傲慢」です。 つまり、「自分以上にいいアイデアがある訳がない」と考え、他の人々の才能を過小評価するのです。

 

 

❖20世紀のビジネスモデル 

20世紀は人類の歴史上もっとも短期間で人類が発展した「100年」と言えるでしょう。 2

0世紀には世界各国の大企業、また大きな組織には大きな成功を築き導いた「リーダー」がいました。

彼らはカリスマ性があり、多くの人々を魅了し引きつける力がありました。

彼らは先頭に立ち、多くを管理し、多くの指示を出し組織の統率を測ります。

人々はリーダーの声に従い一糸乱れぬ 動きでリーダーが思い描く通り動きます。

その動きは「人」というよりは、どこか「機械的」です。 そして、そのような企業が20世紀大きな成功を勝ち取ってきたのです。

しかし、そのような大きな発展と成長を経験した20世紀と打って変わって21世紀は世界の景気に大きな陰りが見えてきています。

成功を収めてきたリーダー率いる企業が軒並み倒産し、その結果全世界を巻き込んだ大不況が起こり、これまで組織内で文句も言わず、忠実で献身的に働いてきた多くの従業員とその家族が犠牲になっています。

一人のリーダーが正しい方向に向っている時は皆安泰です。

しかし、もし自分と自分の命を含めた「全て」をたった一人のリーダーに「依存」するなら、リーダーがもし、間違った「方向」に進み始めたら、皆様と組織はいつかリーダーもろとも「雪崩を打って」奈落の底へ転落してしまうでしょう。

どうして、そのような結果が起こったのでしょう?

それは20世紀の大きな成功にあぐらをかいて「それ以上の成長を望まなかった」もしくは「努力を怠った」からです。

そして、そのつけが今になってやってきたのだと私は思います。   ビジネスでも人生においてもそうですが、皆様が目先の小さな「金儲け」ではなく、真の偉大な「成功」を得たいと思うならば、皆様は「謙虚」になって他の人の「才能」を認め活用するべきです。

皆様がお持ちでない他の才能を持った方々の才能を活用させていただく、これは「謙虚」さからくる行為です。   そのように多くの英知たちの才能をお借りし、またお貸しして、結集された才能を活用し何かに取り組むとき、皆様はこれまでに見たことも感じたこともない「相乗効果」の「偉大な力」(奇跡)を目の当たりにするでしょう。

そしてその力を活用できたなら人類は信じられない「偉大」なものを作りあげることが出来るはずです。

私はこの21世紀の今、20世紀を偉大な教師として、そこから学んだことをこの21世紀に活かそうとするなら、そして人類が更なる成功と成長を望むならば、私達は謙虚になり、すべての人の価値を認め「全ての人類が持つ無限の才能をどのようにしたら発揮することができるだろうか」と考えることが最も大切で重要なことだと本気で思います。

そして、もしそのような考えを頭の中だけでなく、実際にほんの少しなりとも試してみるならば、この世紀、人類は20世紀の大発展をはるかにしのぐ、「違う次元」の「成長」へと発展していくでしょう。

 

 

 

最後に

私の個人的なビジョン、願い、そして目標に、全ての人が持つそれぞれの素晴らしい才能を活用し合える。

つまり、相乗効果の偉大な力を発揮し合あえる共同組織体を作りたいという強い想いがあります。

人は、一人一人どれも同じものはない、それぞれ個々の違った才能と個性を持っています。

それらの宝を使わず、たった一人が考えた一つのマニュアルに従って機械的に人を従わせようとするならば、上手くいけば、たった一人が予測した「ほんの小さな利益」を得られるかもしれませんが、その人の想像を超えた壮大な利益(幸福)を実現することは叶わないでしょう。

当たり前です。

イメージできていないので具現化できるはずがないからです。

一人(一つの考え)では、化学反応(相乗効果)が起こりません。 (※化学反応を起こすには①「複数以上」②「性質の違うもの」が必ず必要です) また、人が持つ才能と英知を使わないことは、神の深遠な目的を無に帰そうとする行為なので自然の法則がそれを許しません。

そのように神の英知達を軽んじ、たった一人の不完全で浅はかな一つの考えを押し付けた先に未来があると考えるならば、私はその方がはるかにナンセンスだと思います。

皆様は、天から授けられた「才能」を活用していますか? また、皆様は持っていないが、他の方が持つ「才能」を活用させていただいていますか?

 えっ?

活用していない?

それは非常に 、

「もったいない!」です。。

 

 

皆様がご自身と周りの方々の才能を効果的に活用できることを心から願っています!!

もし、それが出来れば、皆様はそう遠くない先に今とは違う、もっと高い場所から、全く別の壮大世界を見ていることでしょう!!

皆様の人生が喜びで満たされますように!!

また、皆様を通して皆様の周りにいる人々の人生も喜びで満たされますように!!

 

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