皆様、
お元気ですか?

皆様のお住まいはまだ暑いですか?
私の住む札幌はかなり涼しくなってきました!

ぜひ、読書の秋、食欲の秋、そして紅葉の秋を楽しんでいただきたいと思います!

 

さて、前回の投稿「回復の原則①」~戦争は大きな喧嘩~ では、世界で起こっている現象は私達個人を含めた相対的な関心、つまり「フォーカス」が大きなエネルギーとなり、回復の原則に則って、良くも悪くも様々な現象が具現化されているという事を説明しました。

また、一つの例として戦争を取り上げましたが、その中で、もし私たちが戦争が早く集結し、世界が平和になることを願い、望むなら、その前にまず私たちが日々身近に起こしている身近な戦争(喧嘩)を止めるべきであるという事も説明しました。

分かりやすく言えば、普段私たちが日々身近な戦争(喧嘩)を繰り返し、争いのエネルギーを周りに拡散し、世界で起こっている戦争に影響を与えておきながら戦争反対を叫んでも、これは矛盾しており、理にかなっていないという事を説明しました。

そして、これらの現象も含めてこの世で具現化されたものは全て私たちの「フォーカス」つまり、集中によって引き起こされた「回復の原則」(引き寄せの法則)によって具現化されている、ということを説明しました。

皆様は前回の記事を読まれてこの世で沸き起こる(良くも悪くも)様々な現象のメカニズムを理解されたでしょうか?

今回は更に、「回復の原則②」~波紋は戻ってくる~ というメッセージを通し、化学的な視点から実際に自然界で日々起こっている様々な「波紋」から更に「回復の原則」の理解を深めていただきたいと思います!!

ぜひ最後まで楽しんでくださいませ( ^)o(^ )

 

 

 幸福も不幸も自らの選択

皆様は「どうして私だけこんな不幸な環境に生まれ育ったのか?」、「どうして私ばかりこんな不幸なことが起きるのか?」、「どうして何をやってもうまくいかないのか?」、「私の人生はなんて不幸なんだ」などと考えたことがありませんか?

もちろん全てとはいいませんが、これらの考えのベースにあるのは「私には何の問題もなく、周りに問題がある」という他責思考が前提にあります

もっというならば「幸も不幸も回り次第で、自分で幸福になるのを決めたり、選んだりすることなど出来ない」という、まるで幸福か否かは運次第で決まる「宝くじのようなもの」という考えがこの世で成功するかどうかの基本だという事がいえます。

しかし、果たしてそうなのでしょうか?

もちろん、生まれ持った遺伝的な病気、また予期せ不慮の事故、またもともと生まれた環境が劣悪な環境で生まれてしまった。などがあるかもしれません。

これらのことはとてもデリケートな話で、この世の短い視点だけで考えるなら、前述した「幸も不幸も運次第で宝くじのようなもの」ということが当てはまるかもしれませんが、「神の視点」から見る時にはこれら避けようのない事故や先天的な病気、また生まれ育った環境でさえも自らが選択したものであるという事を理解するでしょう。

この件に関して今回長々説明することはありませんが、以前この件に関してお送りしたメッセージがありますので、ぜひ下記リンクからご覧くださいませ!

選択の自由と原理原則 パート②

因果応報、引き寄せの回復、回復の原則、言い方は色々ありますが、共通の意味するところは「良くも悪くも全ての現象と原因は自分にある」という事です。

 

 

インサイドアウト

皆様は子供時代、池または湖の畔に立ち、石投げをして投げた石が水面を何回飛び跳ね続くかを友達と競ったことがあるでしょう。

石を手にとり、池に投げ入れると石が落下した着水地点を中心に波紋は内側から外側へと広がっていきます。

一つの波が起こると一つ目の波紋を発信源として第二の波が起こり、次に第三の波、第四の波という具合に一つの波が次の波へ影響を及ぼしその影響が更なる波を生み出し周りに広がっていきます。

「波紋」には必ず「発信源」があり、必ず発信源を中心として外側に広がるという法則があります

この内側から外側に広がる現象を英語では「インサイドアウト」と言いますが、この概念を分かりやすく、ビジネス及び人生で成功するための基本概念として紹介したのは7つの習慣の著者スティーブン・R・コビー博士です。

そしてコビー博士が提唱する成功の概念にある「インサイドアウト」つまり、内側から外側に広がる、神が創世の前から備えた原理原則が根底にあります。

そして良くも悪くも、また神を信じていてもいなくても、私たちがこの世に存在し生きる限り容赦なくこの原理原則は私たちをその支配下に置きます。

 

 

波紋は戻ってくる

さて、ここで皆様にクイズです。

静まり返った湖面に石を投げ入れると落下点(発信源)を中心に波紋は外側へ広がっていきますが、広がった波紋が壁やその他の障害物に当たると、その後波紋はどうなるでしょうか?

 

A:消えてなくなる

B:跳ね返り戻ってくる

 

 

答え:B 跳ね返り戻ってくる

 

です。



 

湖面に落ちた石を中心に波紋は外側に広がり、広がった波紋が何らかの障害物にぶつかると実はその波紋は落水した発信源に戻ってきます。

そしてこの波紋の跳ね返りの法則は湖面の波に留まらず、電波、音波、周波を含めた全ての波も同様です。

皆様が山に登り、絶景を見て「ヤッホー!」と叫ぶとき、タイムラグの後に「ヤッホー!」と返ってくるいわゆる「やまびこ」も音の波(音波)が障害物に当たり跳ね返ってくる現象です。

そして、この法則は物質的な物だけでなく、物質を越えたこの世の全てに共通する原理原則なのです

つまり、思考、言動、行動はエネルギーとなって皆様を中心として外側に広がっていき、やがてその波は他の人々にぶつかり、またぶつかった波は皆様が忘れたころに発信源である皆様自身に反ってきます。

 

 

目に見えない波

とてもやっかいなのは、このように、目に見える、または聞こえる、物理的な「波」ではなく、思考や言動、また相手に対してとった態度や行動から生じる波は、目に見えない、また耳で聞こえないので、人生で訪れる様々な現象(出来事)が良くも悪くも自分から派生したものであるという事を認識していないという場合が往々にしてあるということです。

人生で訪れる幸不幸を自ら作り出していると認識していない、つまり思考と言動と行動による幸不幸の因果関係が不明瞭なので、知らず知らずの内に毎日、毎分、毎秒、または生涯を通して幸福のポジティブな波(エネルギー)、または不幸のネガティブな波、または両方の波を皆様は発信源として時々刻々周りに発信し続け、それらが広がり様々な障害物(人を含む)に当たって、増大した波の跳ね返りを自らに現象として受けているのです。

もし、このように自身に訪れる幸不幸の因果関係を理解するようになれば、神に与えられた創造の力、また影響を及ぼす力をどのように行使するべきかが見えてきます。

 



 

刺激と反応

もっと身近な分かりやすい喩えで説明しましょう。

もし皆様が池の縁に立ち、両手で抱えるような大きく重たい石を持っているなら、その大きな石を目前の池に投げこむような愚かなことはしないでしょう。

なぜなら、物理の法則により、自身に大量の水しぶきが跳ね返る、つまり「刺激」に対して何らかの「反応」があることが分かっているからです。

もし、全ての思考と言動、態度、行動による反応がこのように目に見える形で即座に戻ってくるならば、全ての人類はもう少し賢くなり浅はかな言動と行動を慎むでしょう。

ただ、神の視点から見れば、全ての思考、言動、態度、行動に対する跳ね返り(因果応報、引き寄せの法則、回復の原則)が瞬時に現れるなら、人は自身に跳ね返ってくる苦痛や災いを懸念して良心から浅はかな言動と行動を慎むのではなく、単純に自身に不利益が被る(痛みが伴う)ことを避けるために愚かな行動を慎むようになるでしょう。

それは、人が沸騰した煮えたぎる鍋の中に手を入れることがないように、または自分の目に尖った針を突き刺すようなことはしないのと同じです。

なぜなら、それらの行為には必ず耐えがたい痛みが伴うことを知っているので、そのような浅はかな行動は通常とらないからです。

もし、そのように自らの純粋な想いからそうするのではなく、不利益を被らないために不承不承仕方なくそのようなネガティブな思考、言動、態度、行動を慎むのであれば、神のご計画である人類が「自ら考え」、「自ら選び」、「自らが責任を引き受ける」という神のように成長する機会を結果的に奪ってしまいかねません。

全ての創造とこの世の基である原理原則は人が自らの自由意志で選択し、経験することで進化成長し、それにより喜びを得、神々のように成長することが設計されています。

しかし、人が真の成長を成し遂げようとするために即座に痛みをもって教えようとするなら人は真の意味で成長することは出来ません。

例えば、幼少期から子供に「せっかん」という名目で、子供が間違った選択をしないようにと子供が誤った選択を取るたびに即座に親が肉体的また精神的な痛み(過干渉含む)をもって子供にわからせようとするなら(スパルタ教育)そしてそれを感受性の強い幼少期から行い続けるなら、その子供は大人になったときに学校の成績はそこそこ良いが、自ら選べず、判断できない、人とコミュニケーションを図るのが難しく、社会に順応出来ない、など社会的な問題になっているアダルトチルドレンを作り上げてしまうことになるかもしれません。(いつかアダルトチルドレンについても特集を組みたいと思います)

神はそのことをよくご存じなので、人が成長するために必要な自由意志を損ねるようなことはなされません。

そして、この基本的な「自ら蒔いた種は、自らが刈り取る」という原理原則自体は何も変わらず誰もこの原則から逃れることは出来ません。

 

 

波紋がもたらすインパクト

皆様が発信した波紋の影響は皆様が周りにもたらす波紋のインパクト(質量)によりその大きさが違ってきます。

私たちがとった思考、言動、態度、行動、に対しての跳ね返り(反応)の大きさは、発信源となる刺激の質量と刺激が起こった場所とその距離に比例します。

目の前の池に小さな石ころを投げ込んでもそれほど水しぶきは上がりませんし、波紋もそれほど大きな波は起こりません。

しかし、一抱えもあるような大きな石を目の前に放り込むならその反応により皆様は水浸しになるばかりでなく、皆様に向かって大きな波が押し寄せてくるでしょう。

同じように、皆様が投じる思考、言動、行動、態度の質量(大きさと重さ)とその距離によって皆様に跳ね返る波紋も激しさと大きさに差異が生じてきます。

また、物質とは違い、精神的、霊的な波紋による反応は視覚で見えないので刺激と反応との因果関係が分かりずらいという事があります。

また、物質的な反応に対し、精神的、霊的な跳ね返りのタイミングはタイムラグに若干の差があるようにも感じています。

それは人は物質とは違い、霊的な存在であるため人類はその人(相手)の精神と霊の成熟度によってネガティブな波をある程度和らげたり、スルーしたり、場合によっては波を打ち消すこともあるからです。(いつか「ネガティブな波を打ち消す方法」を記事で紹介したいと思います!)

ただ、今はまだ科学的に証明されていない思考や祈りによる「やまびこ効果」(波の跳ね返り)もいつか化学が更に進化発展した時に、思考や祈りもエネルギーによって起こる物理の法則、つまり波紋による跳ね返りであることが証明される日がやってくるでしょう。



 

回復の原則を理解することで身に起こる変化

これら「波紋は障害物に当たり良くも悪くも発信源に戻ってくる」という原理原則を理解するなら今後皆様の思考は以下のように変化が生じてくるはずです。

 

・周りに変わってほしいと願うなら、まず自らが変わらなければならない。

・人に関心を示してほしければ、自らが周りに関心を示さなければならない。

・社会から恩恵を受けたければ(ビジネスを含め成功したければ)自らが社会に貢献しなければならない。

・周りから信頼して欲しいなら、自らが周りを信頼しなければならない。

・愛する人からの笑顔が欲しいなら、自らが愛する人に笑顔を与えなければならない。

・豊かで平安な人生を送りたいと願うなら、自らが周りの人々が豊かで平安な人生を送れるように働かなければならない。

 

そして、もし皆様が本当の意味でこのことを理解したなら、その時点で皆様の人生は好転していくことでしょう。

そして、皆様の人生が好転していく過程は以下のような流れになるはずです。

 

・思考に変化が生じ

・言動が変わり

・態度が変わり

・行動が変わる

・ネガティブな状況でも冷静さを失わず影響されない

・思考、言動、態度、行動を振り返り修正を行うことが日々のルーテインとなり

・自らの思考と選択と行動の結果により幸福になり始めたことを実感し始める

 

皆様が発信源となり周りに良い波紋を発信し、回復の原則によって良い物を刈り取ることが出るよう心から願っております。
また皆様のポジティブな波紋により、皆様だけでなく、皆様の周りの人々にとっても素晴らしい世界になることを心から願っています。

この世界がより素晴らしい世界になれるよう、天から与えられた創造の力を活用し、共に私たちの周りの身近な世界から影響力を発信してまいりましょう!!

 

さて、今回は「回復の原則②」~波紋は戻ってくる~をお送りしました。

次回は「回復の原則③」~祈りは究極のフォーカス~というテーマでお送りしたいと思います!!

また皆様のご意見ご感想をお待ちしております!!

 

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