皆様お元気ですか?
久しぶりに記事を投稿いたします!!
今回は特にセールスにかかわる皆様にとって大きなビジネスのヒントになるメッセージをお伝えしたいと思います!!
また、セールスに関わらなくても、全てのビジネスや趣味、人間関係、その他皆様の夢実現の大きなヒントになると確信していますので最後までお付き合いください!
この世で最もセールスが難しい商材とは?
さて、唐突ですが、この世の中で一番商談成立が難しいセールスの商材は何だと思いますか? 恐らくセールスに携わる皆様は皆、「自身が扱う商材こそがこの世の中で一番難しい商材だ!」と考えると思います。
しかし、私は自信をもって言いたいと思います。 世界で最も難しいセールスの商材は「宗教」であると!
もちろん、通常の宗教(※純粋に人々の幸福を説く宗教)は信仰に関わることなので、商談が成立しても金銭の授受は生じないので、セールスとは言わず、正しくは「勧誘」というべきかもしれません。
ただ、有形無形問わず純粋に人々の役に立つと信じ、「伝えたい『もの』がある」という事で考えると、セールスも宗教も基本的に同じだと考えています。違うのはこの世限りで終わる幸福か、死んだ後も永遠に続くこの世を超越した永遠の幸福かということです。
この記事では、あえて宗教もビジネスと対比して分かりやすくするために「商談」または「セールス」という表現を使わせていただきます。
2年間で宣教師一人当たりに見る改宗者は?
私は23歳の時に大阪で末日聖徒イエスキリスト教会で洗礼を受けクリスチャンとなりました。そして2年後25歳になったときに宣教師となり北海道で2年間ボランティアで伝道に従事しましたが、人にこの世のものではない永遠の幸福を説き、人々を神に帰依させることの難しさを骨の髄まで理解しているつもりでいます。
皆様がお住いの町にも、または現在お住いのご近所でも2人組の若い外国人または日本人2人組の宣教師を見かけたことがある、または声を掛けられたことがある、という人がいるかもしれませんが、胸に黒いネームタグがあり、「末日聖徒イエスキリスト教会」という教会名が刻まれているなら、間違いなく彼らは私と同じ末日聖徒イエスキリスト教会の宣教師です。(※英語ではThe Church of Jesus Christ of Latter day Saints)
彼らは日本のみならず、アフリカからヨーロッパ、南米、北米、東アジア、西アジア、東南アジアなど、その国の政府が宣教師の布教活動を認めるならどこの国にでも赴きその地で奉仕します。 そのような若い二組の宣教師達は18歳から伝道に出ることが出来ますが、男性なら2年間、女性なら1年半布教活動をすることになります。(※伝道は強制ではありません)
ちなみに、これはあくまで日本における統計ですが、そのような宣教師が日本で布教活動を始めてから終わるまでに宣教師1人当たり平均何人の人を教会に導いてバプテスマ(洗礼)を見ていると思いますか?(男性宣教師なら2年間、女性宣教師は1年半伝道します) 考えてください。
彼らは週に一度 朝9:30~夕方の18:00までPday(Preparation Day)と呼ばれる準備の日(選択、掃除、買い物、手紙を書く等)以外、2年または1年半の伝道期間中 全ての「時間」全ての「想い」と「情熱」と「労力」を神に捧げ伝道活動を行いますが、そんな彼らが伝道を終えるまでに一人当たり平均何名の改宗者を見ることができるのでしょうか?
2年間を時間に換算すると彼らが伝道に捧げる時間は、睡眠時間、食事時間、Pday(準備の日)を除くと約7,776時間という膨大な時間を伝道活動に費やすことになります。
もし営業に携わる人ならご自身の営業の成果を物差しとして考えてみてください。
勿論 商談成約率は商材の価格やその内容にも関わることで皆様が扱う商材と比較できないことは承知しています。
それでも、それらを考慮した上で少し考えてみてください。
実際に日本で奉仕する宣教師たちは伝道を終えるまでの2年または1年半の間に平均何人のバプテスマを見ると思いますか?(※バプテスマ=洗礼は教会に改宗する時にクリスチャンとなり、イエスキリストの名前をを見に受け自身のこれまでの罪を悔い改め、霊的に生まれ変わる特別な儀式。聖典にはバプテスマは神の身元に戻るための門つまり入り口としてと捉えられています)
営業のプロである皆様なら商材が宗教であるなら何件契約を取ることが出来ますか?
10人ですか?20人でしょうか?それとも100人しょうか? 答え 末日聖徒イエスキリスト教会の宣教師一人当たり2年または1年半で見る改宗者は、 平均0.6人です。(※これは日本における統計です)
宗教は世界一過酷なセールス(勧誘)
皆様はこの結果を知りどのように思いますか?
皆様であればこれほど成約率の悪い非効率な商材を扱うセールスを選ぶでしょうか?
もし、通常の企業であれば、もし皆様が毎日朝から夜まで2年間 7,776時間働いてたったの1人も商談がまとまらないようであれば、はっきり言いますが、皆様は完全に「クビ」でしょう。
厳しい言い方をすると会社にとって皆様はお荷物でしかありません。 しかし、何より辛いのは当の本人でしょう。どれだけ情熱と信仰がと愛があっても、なかなかそのような結果を受け入れることは出来ません。
どんなに気持ちの強い屈強な大男でもこの結果には相当落ち込むはずです。通常であれば心が折れてしまいます。 いずれにせよ彼らは子供のころから自身が信じる神とその教えを人々に伝えるため伝道資金を少しずつ貯金し、人生でもっとも決起多感で活力ある2年、または1年半の大切な時間を神に捧げ伝道に出ますが宣教師は平均一人辺り1人をも教会に導けていないのです。
つまり、日本に来る多くの宣教師は、大きな希望と愛をもって伝道に出ますが一人もバプテスマを見ることなく、がっかりして帰国する方が遥かにに多いのです。(もちろん、そのような苦い経験を通して彼らが学ぶものは計り知れませんし、人として劇的に成長する機会となります)
それは若い宣教師である彼らには本当に気の毒なことですが、実際にそれが末日聖徒イエスキリスト教会の日本における布教活動の実情であり、私が「 『宗教』こそもっとも難しいセールス」というのはそういう理由からです。 (※世界的には末日聖徒イエスキリスト教会は他の宗派と比較し、最も信者数が増加し、拡大を続けています。
キリスト教会全国協議会(National Council of Church)によると,末日聖徒イエス・キリスト教会は,成長の速さにおいて合衆国第2の教会です。) 引用:https://news-jp.churchofjesuschrist.org/%E8%A8%98%E4%BA%8B/%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%88%90%E9%95%B7
皆様にお願いがあります!
もし私のメッセージを読んだあと町で彼らをみかけたなら、聞くだけで構わないので「一度」時間を取って彼らのお話を聞いてください。
もし、そうしていただけるなら、若く純粋な彼らは喜び、同時に天も喜びます。 そして、ただ彼らが喜ぶだけでなく、必ず皆様も若く純粋な彼らを通して、特別な「何か」を学び、結果的に皆様ご自身が喜びことが出来るとお伝えいたします。
すみません、余談となりました。
話を戻しましょう。
私の布教活動
前述した通り、「宗教」はこの世で一番商談が成立するのが難しい商材と言えるでしょう。
私は今から33年前伝道に出ましたが、伝道に出る前に「伝道に出てもなかなか人は話を聞いてくれない」という事は知識として知っていました。 しかし、実際に伝道に出て間もなくして、毎日朝から夜まで多くの人々に声を掛けましたが、これほどまでに人が宣教師の話に耳を傾けないとは思っていませんでした。
私は23歳で改宗し、25歳で北海道に伝道に出ましたが、多くの宣教師が18~20歳で伝道に出ることを考えれば、けっこう年長で伝道に出たことになります。 私は既に社会人として社会で働いていましたので、伝道に出るために会社を退職して伝道に出たことになります。
また2年間の伝道資金を捻出するために、私は当時23歳で新車で買った愛車の日産のフェアレディーZを売却して伝道資金を捻出し伝道に出ました。 愛着があった愛車のフェアレデイ―Zを手放すことは辛かったですが、しかし私が伝道に出ることは比較し得ない大いなる宝物になると信じていたので伝道に出ることを躊躇することはありませんでした。
当時、私はある一つの覚悟をもって伝道に出ましたが、それは、「もし、伝道中少しでも伝道するのが嫌だ」と思った時には神様の尊い時間を無駄には出来ないので、その時は「潔く荷物をまとめて大阪に帰ろうと」と心に決めて伝道に出ました。
しかし、ありがたいことに、伝道で上手くいかずに大いに苦しみ悩んだことはありましたが、幸いにも伝道が嫌だと感じたことは一度もなく、最後まで伝道を全うすることが出来ました。
北海道の伝道活動
私は1990年7月に私の伝道地の北海道に旅立ち、北海道内2年間で4回の転勤があり計5ヵ所で奉仕しましたが、最初の赴任地は2ヵ月と少し旭川で伝道しました。旭川は短い時間でしたが、最初の赴任地という事もあり、本当に良い思い出が沢山詰まっています。
2ヵ所目の赴任地は北見で6ヵ月伝道しましたが、北見は網走の隣に位置し、冬はとても寒く、寒い時はマイナス25℃以下にまで下がり眉毛が凍ってくっつくという信じられない経験をしました。しかし、人々は寒さに反しとても温かく、北見も思い出がたくさん詰まった本当に素晴らしい伝道地でした。
3ヵ所目は札幌市の豊平区で7カ月奉仕しました。豊平は伝道に出て1年経ち伝道期間の2年間の中間地点を跨いで奉仕した地域でしたが、当時伝道に出てからの1年を振り返り、それほど改宗者(教会に帰依する人)を見ることが出来ず、「このままでは伝道前に祈りをもって掲げた『聖い目標」』を達成できない」と大いに悩み苦しんだ期間となりました。
4ヵ所目は札幌の手稲地区で6ヵ月奉仕しましたが、当時手稲の教会は北海道の末日聖徒イエスキリスト教会の中でも多くの人々が集うとても大きな教会で、そこに集う教会員は当時150名以上おり、また若い青年と青少年が多く集うとても活力がある元気な教会でした。 いつか、それぞれの伝道地で経験した喜び、挫折、平安、苦しみ、試し、束縛と解放、そして奇跡と感謝を皆様に分かち合いたいと思います!
最後の転勤
伝道が残り3ヵ月を切るとき私は霊感を受け、残りの伝道期間3ヵ月を前にして「最後は帯広に転勤する」ということを霊感により理解知っていました。当時私は手稲の教会が伝道することがとても大好きで、また愛ある多くの教会員の助けにより伝道が本当に楽しく心から喜んで働きました。
また、それ以外にも多くの素晴らしい教会の指導者を見て、伝道だけでなく、多くの人々が集う組織をどのように適切に管理し運営するか、という今後の人生に活かせる多くのことを学んでいたので、霊感により「帯広に転勤する」と理解した時には本当に落ち込みました。
そして、出来ることなら私が受けた霊感が「間違い」であり、残り最後3ヵ月の伝道を「このまま手稲で奉仕する」ことを願ったのです。 ですから、転勤発表当日の朝早くに北海道の伝道部を管理する当時の管理者クリステンセン伝道会長(クリステンセン会長は以前FBIの敏腕エージェントでした)から電話があり、「あなたの最後3カ月の伝道地は帯広です」と告げられたときは全く驚きませんでした。
ただ、驚きはしませんでしたが、私は手稲で伝道することが大好だったので、とてもがっかりしました。しかし、同時にこれは神からの召しであることを知っていたので、心を奮い立たせ、一人帯広行きの汽車にのったのを今でもはっきり覚えています。 ※全員ではないですが、写真は私の伝道中の愛する同僚たち!
聖なる目標
私は伝道に出る前に改宗者の目標を「50名」に設定して伝道に出ましたが、伝道に出て4ヵ月もたたないうちに目標を10名に下方修正しました。伝道に出て4ヵ月間 自分でも驚くほど必死に伝道しましたが、残念ながら当時の私の信仰では50名の人々を導くのは難しいことを悟ったからです。
ただ、どんなことがあっても、「必ず10名の方々は改宗に導く」という強い覚悟の元、目標を再設定して必死に働きました。ただ、最後の帯広の伝道を残すところあと3ヵ月で私はまだ目標の半分の5名しか改宗者を見ていませんでした。
もし、皆様であれば、理性的に考えて、それまで伝道の全ての時間と情熱を想いを神に捧げ、人生でそれまで経験をしたことがないほど一心不乱にありとあらゆる努力と、私が持つすべてを完全に出し切り1年9ヵ月がむしゃらに働いて5名しか改宗者が見れなかったとしたら、皆様は残り5名の改宗者を僅か3ヵ月で達成出来ると考えるでしょうか?(※実際には帯広に転勤する日の1日前手稲の教会に集う最後の日曜日に手稲で6人目のバプテスマを見るという奇跡がありましたので正確には帯広転勤前には残り目標達成まで残り4名でした)
1年9カ月がむしゃらに働いたそれまでの伝道経験から当時私の理性ではそれが実現できるとは思えませんでした。不完全な私には全くその糸口が見えませんでした。しかし、根拠はありませんでしたが、私は残り3ヵ月で私はその聖なる目標を達成できることを「知って」いました。
ただ私はただの「人」なので、それがどのようなな方法でそれが達成できるかはわかりませんでしたが、しかし、最終的にそれが達成出来ることを知っていたのです。 ですから、私は「主は残り3ヵ月で1年9ヵ月必死で努力しても果たせなかったその目標をどのように見せてくれるのか」本当に楽しみで、転勤の帯広行きの汽車の中でうきうきわくわくしたのを昨日のように覚えています。
苦しみの絶頂で見た特別な夢
では、どうして私が伝道の最後に、私が掲げた目標を達成できることが分かっていたのか?
皆様が大いに気になるところだと思いますが、私が伝道の最後に目標を達成することを知っていたその理由を説明いたしましょう。
それは、私がグリーンビーン(新任宣教師の呼称)の時に、私にはコントロールすることが出来ない、私を取り巻く様々な外的な要因によって、殆ど伝道することが出来ず、非常に苦しんだ時期がありましたが、そんな苦しみの絶頂時に見た夢に起因しています。
私は当時後輩宣教師でしたが、私は伝道に出るときに「全てを神に捧げ伝道する!」そのような覚悟で伝道に出ていたので、伝道が殆どできない状態にとても苦しみ、悩み、悲しんでいました。
私は、なんとかそれら私に影響を及ぼす外的な問題を改善し、少しでも伝道が出来るように心から祈り、そしてその問題が解決できるように出来る限りのことをやってみましたが、残念ながら伝道に集中して働くことが出来ずにいました。
その時に学んだのは、それがどんなに良い人であっても人が複数名以上集まる時には一致することが本当に難しい時があることを悟りました。
そのような苦しい日々が続くある日、私は一つの夢を見ました。その夢は未だに鮮明に私の心に残っており、今でもその時心に受けた不思議な印象と喜を思いだす時があります。
❖美しく見事な金の魚
夢の中で、私は同僚と一緒になぜか釣竿を肩に担ぎ荒涼とした大地を無機質に歩いていました。
暫く歩いていると急な下さり坂があり、その坂の下には大きな美しい池が見えました。私と同僚は急いで池のある方向に歩きますが、気が付けば私たちのほかにも同じように釣り竿をもった何人もの人々があちこちからその池に群がるのが分かりました。
池に辿り着きその池の中を覗き込むとそこには本当に美しく、見事な金色の非常に大きな魚が何匹もいることを見つけました。私は魚釣りが大好きで魚を見た瞬間本能的に仕掛けをセットしてすぐさま池に釣り糸を投げ込んでいました。(今でも時々時間のある時に北海道の川に一人で釣りに行っています!)
そして私のほかにも私の同僚、そして多くの人が我先にと同じように仕掛けをセットし胸を躍らせながら仕掛けを池に投げ込みんだのです。
❖何をしても釣れない魚
しかし、不思議なことにその美しく見事な魚は私や周りの多くの努力にも関わらず、餌やルアーに全く見向きもせず、私だけでなく、周りの全ての人々が同じように魚を釣ることが出来ずにいました。
私や周りの多くの人々はその魚があまりにも見事だったので、何としてでもその魚を釣りたくて、ポイントを変えたり、仕掛けを変えたり、アプローチを変えたりと、ありとあらゆる方法と努力を払い努力しました。しかし努力の甲斐なく、私たちは一向にその魚を釣ることが出来ずにいました。
そのうち、私の同僚や周りの多くの人々が竿を片付け始め、私と周りにいた何人かの「励ましの言葉」にも関わらず、元来た道を戻り、かなり離れた丘の上で腰を下ろし、時間の流れを見守るかのように、無表情に時を過ごしているようでした。
それでも、私と何人かの人々はその魚を釣りあげようとさらに努力を続けますが、誰一人としてその魚を釣ることが出来ずにいました。
そのようなことを続けているうちに私の心の中にある思いがよぎりだしたのです。 それは
「この魚は釣れない魚のかもしれない」 という思いでした。
❖真の幸福は試された後に与えられる
そのような思いが心によぎり出したころ、私は 「もうこれ以上の努力を続けても無駄だ、これだけやれることはやったのだから仕方がない、もうこの辺で諦めよう、、」
そのような思いが心の大半を占め始めた時、急に殆ど動きを見せなかった魚の一匹が急に動き始めたのです。
すると、その一匹の魚の動きが何かの合図のように他の魚たちも急に動き始め、驚いたことに私を含め諦めずに残り、努力を続けた人々が、大きくて見事な金色の魚を入れ食い状態で釣り上げたのです。
あの、壮観で、楽しく、心の底からの喜びに溢れたあの夢の光景を今でも忘れることが出来ません。翌日、私は失意のど真ん中にいる時期でしたが、釣りが大好きな私にとって信じられない楽しい夢を見たので、久しぶりに心地よい目覚めによって起き上りました。
そして起きて暫くしてからもずっと私の心の中に今朝見た夢の印象を強く感じていました。私は今朝見た夢のことを反芻しているときにこの夢は単なる魚釣りの夢ではなく、私の伝道にとって特別な意味が込められた夢であるいという強い印象を受けたのです。
そして、その時にある聖句を思いだしました。 それは丁度、イエスが30歳になり、住み慣れた家と家族を離れ、伝道に赴く場面でしたが、イエスは伝道に出るとき何人かの人々を伝道に誘いました。後に彼らはイエスの弟子になりますが、その聖句はイエスが弟子たちをリクルートするために漁師のシモンと兄弟のアンデレを誘う場面でした。
「ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。さて、イエスはガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。」 マルコの福音書1章14節~18節
あの夢は単なる夢でなく、啓示でした。伝道に出たのに伝道が出来ず、悩み苦しみましたが、苦しみの絶頂に見たあの夢があったおかげで、私は伝道の終わる頃には私が想像しえない神の御手が働き奇跡的な方法で多くのバプテスマを見ることが出来ることを知っていたので、それが励みとなり、伝道の最後まで全精力を尽くして伝道を行うことが出来たのです。
最後の帯広の伝道は祝福の3ヵ月
最後の伝道地であった帯広に赴任した時に求道者は2人いました。しかし、そのうち一人は福音(神のメッセージ)を真剣に聞く気がないという事が分かったので、その人にコンタクトを取るのは止めました。
その時点で伝道の残りは僅かな3ヵ月でしたが、私と同僚セットには実質求道者が1人しかいなかったことになります。 帯広の最初の1ヵ月はバプテスマは見れず何事もなく過ぎさりました。残りの伝道2ヵ月目に唯一いた1人の求道者がバプテスマを受け7人目のバプテスマを見ました。
しかし、その時点で求道者は「0」になりました。 つまり、伝道が残り2ヵ月を切って教える人が一人もいなくなったのです。 それまでの伝道の1年9カ月を振り返ると、その状況は絶対絶命でした。しかし、私は動揺することなく、神様が与えて下さる奇跡を待ちわびながら、私は伝道の残り2ヵ月を切ってもこれまでく変わらず楽しんで一生懸命働きました。
私の最後の同僚はグリーンビーンでビショップ長老という愛深いとても優しい同僚でしたが、私と同僚は共に楽しみながら一致して必死に頑張り、伝道の残り僅か1ヵ月に迫った時、なんと10名以上の素晴らしい求道者を見つけたのです。 残り2カ月をきって沢山の求道者を見つけることが出来たので、私たちは毎日忙しく多くのレッスンを教えました。
最後の2ヵ月は教えることに費やす時間が大半を占め、それまで伝道の1年9カ月の殆どの時間を費やしてきた求道者を見つけるための戸別訪問や、ストリーティングコンタクトする時間を見つけることが困難なほど教えることに集中する時間となりました。(※私はとても好きでしたが、通常多くの宣教師は伝道の殆どの時間を見つけるために費やされる「戸別訪問」や「ストリーティング」は一番心折られ、心くじける時間となります)
そして、特に伝道の残り最後の1ヵ月は本当に信じられないような奇跡を多く見て皆様に伝えたいことは山ほどあるのですが、これ以上欲張るとこの記事が一冊の本のようになってしまうので諦めたいと思います。
総括
結論からいいますと、驚くべきことに、伝道の残り最後の1ヵ月で4名の方々が勇気と決断をもってバプテスマを受けられ、私の目標の10名を1人上回った11名の方々の栄えあるバプテスマの儀式(神との聖約)に立ち会うことが出来ました。
つまり、最後の3ヵ月では2年間の伝道の大半を占める1年9ヵ月で見た5名を上回り、6名のバプテスマを見ることが出来たのです。(6名の内1名は帯広転勤直前に見た手稲区での改宗者)
冒頭にある今回のブログのテーマに戻りますが、今回のテーマは 「真の成功は試された後に与えられる①」~この世で最もセールスが難しい商材とは~でした。
皆様は私のこの経験からセールスで成果を上げるために何を学びましたか?
「私が信じ多くの人々に情熱を込めてセールス(勧誘)したのは信仰に関わることでしたので、金銭の授受が生じるビジネスの参考にならない、」と考えるなら、皆様は思い違いをしています。
皆様の伝えるものが、社会に貢献できるものならば、それが例えこの世限りの物であったとしても、原則は変わりません。
そのようにして、実際に成功しているビジネスマンは幾つかの成功の原則を踏み行い成功しているのです。
違うのは永遠に渡り喜びを得られ続ける最良のものか、この世限定のものかの違いだけです。
恐らく皆様は今回の私の経験から幾つか成果を上げるためのヒントを得られたと確信しています。
私は今回の私の経験から学んでいただきたいことは以下の6つです。
- 皆様が扱う商材に心から確信を持っているか(信じているか)?
- 皆様が扱う商材は顧客を満足させ、実際に彼らに貢献できるものか(人々の生活、また人生に役立つものか)?
- 皆様が行う仕事に何の疑いもなく誇りと自信と誠実をもって取り組んでいるか(小手先や手法に頼らず真心をもって仕事を行っているか)?
- 皆様は自分を忘れ、顧客の幸福を第一に願いビジネスを行っているか(顧客を最優先しているか)?
- 皆様の仕事に対して、全力を尽くし、もうこれ以上やれることはないくらい仕事を全うしたか(自分の仕事に後悔していないか)?
- 皆様は仕事に掛かる前に既に掲げる目標を達成できていると信じているか(既に成功していると知っているか)?
もし、皆様が上記5つの項目に対して心の底から「YES」と答えられるなら、そこに皆様の努力を凌駕する超自然的な力が作用し、皆様が心から望む大きな成果を掴むことが出来るでしょう!!
そして、これは何もセールスやビジネスに限ったことではありません。全ての成功(幸福)にはそうなるための原則と仕組みがあり、世の東西を問わずなんらかの成果を上げた方は、成功の大小に関わらずこれら成功に必要な要素を取り入れて行動しています。
皆様が信じ、疑わず、諦めず、恐れず、高慢にならず、自分を忘れ、他者のために喜んで犠牲を払い、社会に貢献出来ると確信を持ち、止めずに続けるなら、必ず皆様が撒いた努力の結果を刈り取ることが出来るでしょう。
皆様の事業が、趣味が、社会貢献が、そして皆様の家族が大いなる成功を遂げられますように心からお祈り申し上げます。
次回は「真の成功は試された後に得られる②」~犠牲は大いなる祝福~というテーマを通して皆様が支払う「犠牲」(努力、情熱、勉強、研究、練習)は犠牲などではなく、大いなる幸福を得るためのほんのわずかな「手付金のようなもの」であることについて、これまた私の宣教師として働いた経験から皆様に大切なメッセージをお送りしたいと思います!
ぜひお楽しみに!
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