皆様お元気ですか?
さて前回は「真の成功は試された後に得られる①」~この世でもっともセールスが難しい商材とは~というテーマで、「世界でもっとも商談成立が困難な商材は宗教」という話から、私が経験した布教活動(末日聖徒イエスキリスト教会の宣教師として)を通し、学んだ経験と得た知識、そして大いなる奇跡についてお伝えしました。
今回は前回のメッセージに関連し、布教活動を通して私が経験した苦しみの後に得た「祝福」と至った「境地」を皆様にシェアさせていただきたいと思います。また、この私の経験はどの分野にも通ずる成功の大きなヒントですから、ぜひ最後までお付き合いくださいませ。
人生に訪れる重要な決断
さて、人は人生を通じ日々多くの決断をしています。決断の中には「今日どこに行く」「今何を食べる」「どんな服を着る」など些細と思えるような身近な決断から、後々の「人生に」、または「この世を終えた後の人生」に影響を与えるような決断まで様々な決断があります。
今日は私が布教活動を行うに際し行った「犠牲」と、決断によって得た「大いなる祝福」(成功)について話したいと思います。
前回の記事で紹介しましたが、私が末日聖徒イエスキリスト教会に改宗し洗礼を受けたのは23歳の時でした。そして宣教師になることを決断し布教活動のため大阪から北海道に渡ったのは25歳でした。
しかし正直なところをお伝えしますと、私は伝道に出ることに対し大いに迷い、そして大いに苦しみました。それは、「伝道に出る」ことを「決断」するということは、同時にもう一つ、いやそれ以上に多くのものを「諦めなければならない」ということでもあったからです。
そしてそれらの諦めなければならない物の中に、当時の私にとって諦めることが非常に困難なものがあったからです。
そして、私にとって諦めることが最も困難だった決断は、私が伝道に出ることで、私が大好だった会社(職場)を辞めなければならないという決断でした。
私は15歳で学校を中退し、15歳の夏に家を飛び出し、一人大阪から神奈川県にあるいすず自動車に就職をしましたが、その仕事は長く続かず、その後も私は様々な仕事を転々としました。
当時怖いもの知らずで世界が自分を中心に回っていると考えていた我がままな私にはその会社(伝道に出る時に退職した会社)に出会うまで満足できる仕事と職場に出会えませんでした。
しかし、23歳の時に私は重大な決断をしました。
それは、これまでの生活を改め、バプテスマを受けて末日聖徒イエスキリスト教会の会員に加わり終わりまで神の聖徒として信仰の道を歩み続けることでした。(※宗教が大嫌いで宗教を信じる者は弱い者たちだ!と考えていた私がどのようにして末日聖徒イエスキリスト教会に帰依したかはいつか紹介できればと思います)
それは私にとって非常に大きな決断でしたが、勇気をもって「決断」を行った後、すぐに神様は私にとって本当に素晴らしい仕事と職場を与えられたのです。(当時の私は15歳で高校を辞めてから23歳に至るまでどのような仕事をしても満足出来ず、長続きせず将来についてとても悩んでいました)
私は子供のころから乗り物が好きで、16歳になったと同時に中型バイクの免許を取り、毎日バイクに跨って走り回っていましたが、18歳の誕生日を迎えると、また直ぐ普通免許を取って当時の人気車だった「サバンナRX7」を購入し毎夜ドライブに出かける日々を過ごしました。
更に、念願の21歳になった時には大型トラックの免許を取り、大型トラックの運転手として中長距離のドライバーとなりましたが、更に23歳になったときには今度は大型2種免許とけん引免許を取得しました。私は更に大きな乗り物(トレーラー)に乗りたいと思っていたからです。
しかし、運転をするのは大好きでしたが、それでも最初に就職した運送会社はそれほど長く続きしませんでした。仕事があまりにもハードで寝る暇など全くない生活が続き、このままだと「いつか大きな事故をして取り返しのつかないことになるかもしれない」という不安を常に抱えていましたので、私の好きな運転の仕事で尚且つ、良い労働環境と良い条件で働ける仕事を探していたのです。
そのような時に私は末日聖徒イエスキリスト教会の宣教師から話を聞き、バプテスマ(洗礼)を受けクリスチャンとなりました。そして、私が教会に改宗してすぐ新しい会社に就職しましたが、クリスチャンになって初めて就職した会社は私にとって天国のような職場でした。
高校中退で学歴がなく、特に技術や特技のようなものもなく、無知で、無学で、高慢で、その上怖いもの知らずで、世間知らずの男でしたが、私が就職した会社は大手企業専属の運送会社で労働組合にも加盟しており、完全週休二日制で、尚且つ当時の運輸業界ではサラリーがとても良かったのです。
そして、何より職場の先輩や同僚が本当に素晴らしい方々ばかりでしたので、まるで私の家族、私の家にいるようでした。その時私は初めて職場を家族のように感じ、自分がいる場所のように感じ、またそのような仕事を私に与えて下さった天の神に心の底から感謝をささげたのです。
「決断」とは何かを「選び」何かを「諦める」こと
当時の私はクリスチャンとなることで、人生の目的を知り、生きる希望を見出し、また私にとってあり得ないほど素晴らしい職場に出会えてまるで毎日お花畑にでもいるように「バラ色の日々」を送っていましたが、そんな時に、同じ教会員である兄から毎日顔を見るたびに「伝道に出なさい」というチャレンジを受けるようになりました。
伝道に出ることはクリスチャンとして重要なことであると知っていましたが、新しい仕事は年齢が若い割に、良いサラリーをもらっていましたし、幾つかの良い待遇と職場の環境を心から愛していた私には、伝道に出るために、会社を辞めることは全く考えられませんでした。
私は毎日私の顔を見るたびに聞く、兄の「伝道に出なさい」という言葉を聞くのが本当に嫌でした。それはつまり、「お前は仕事を辞めて、今ある素晴らしい幸福を諦めなさい」と言ってるように聞こえたからでした。
いや、今から考えると、実際には兄の言葉が嫌なのではなく、兄の言葉が痛かったのです。それはつまり、兄がいう真理の言葉が当時この世のものに執着していた私には「辛かった」のです。
しかし、当時の私は、「もし私が伝道に出るなら、神から私に与えられるであろう溢れるばかりの信じがたい大いなる祝福と幸福が準備されているとは知らなかった」のです。
今ではあの時私に嫌われてでも熱心に伝道に出るよう勧めてくれた兄には心から感謝しています。
結論から言うと、私はその大好きだった会社に勤めて1年半が過ぎたころ、当時の私は苦しんだあげく「断腸の思い」で「伝道に出る」という決断を受け入れました。
伝道に出ることを決断したときに、旧約聖書にあるヨブの言葉が私の心に浮かび、その言葉で私は本当に癒されました。
「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」
ヨブ記1章21節
私はヨブのように仕事を失うことに関し、神を称えることは出来ませんでしたが、その時、「私の肉体も私の周りにある全ての万物も機会も全て神が私たちに与えられたもの、」という事を理解できたので、悩んだ末に主の弟子として神の福音を延べ伝えるために当時の私にとってはとても大切な物を「諦める」という「決断」をしたのでした。
チャレンジ(犠牲)を厭わない!
前回の記事で私の伝道についての要約を紹介しましたので詳しく説明しませんが、2年の伝道期間の5分の3が過ぎ、残すところあと9ヵ月という時、私は当時手稲にあった教会(今は宮の沢ワード)で伝道をしていましたが、ある時、当時札幌伝道部を管理されていたクリステンセン伝道会長の定期面接の際に私は一つのチャレンジを受けました。
そのチャレンジとは「私の伝道を1ヵ月伸ばすこと」でした。
正直言いうと、伝道を1ヵ月伸ばすというのは私にとって大ショックでした。私はこの2年の間全てを主に捧げ、1分たりとも自分のために使わないという決断をし、今から考えると信じられないくらい朝から晩までハードワークしました。
それは、伝道に出るために神に自分を捧げたので、この伝道の時間は主の時間であり、「1秒たりとも自分のものではない」と考えたからです。
また、私は伝道が終了した暁には行いたいことが沢山あり、伝道終了後に楽しいプランを立てていました。伝道期間中は全てを節制してやりたいことを我慢していたので、伝道終了後には、行きたいところ、食べたいもの、読みたい本、会いたい人、など沢山やりたいことがあったのです。
ですから、伝道を残すところ9カ月とした時に、あと「1ヵ月伝道を延ばす」ことは、体力面や(全精力を使って働いていたので)、伝道後の様々なやりたいことなどを考えると、その当時の私にとって「1ヵ月伝道を延ばす」ことは大きな「犠牲」だと感じました。
しかし、私は当時のクリステンセン伝道会長のチャレンジを断りませんでした。
それは当時の私にとって大きな「犠牲」でしたが、悩むことはありませんでした。
その当時の私には伝道を伸ばさないという選択肢があるとは思いませんでした。
「主がそう望まれているのだから、それを引き受けよう。」
伝道会長は「即答しなくても良いので、じっくり考えてほしい」と私にいいました。
私は正直に言うと、喜んで返答はしませんでしたが、それでも、考えるまでもなくその場で、「分かりました」と即答したのです。
犠牲は天からの贈り物
私は手稲地区では6ヶ月間奉仕し、伝道が残り残り3ヵ月というとき、私は霊感によって「帯広に転勤する」ことが分かっていました。(前回の記事をご覧ください! )
また、私は伝道に出る時に2年間の伝道で50名の方々を神の元に導きそのためにバプテスマ(洗礼)を50名見ると決意して伝道に出ましたが、伝道に出て信仰の弱い私は10名に目標を下方修正いたしました。4ヵ月間必死に働いたうえで私の信仰では50名は難しいと感じてしまったからです。
しかし、私が伝道をあと3ヵ月で終える時に私は自分が掲げた目標の半分の5名しかバプテスマを見ていませんでした。
それでも私は伝道が終わるまでに目標の10名を見ることが出来ると知っていました。私の当時の知識と理性から客観的に考えるとそれは途方もない考えのように感じていましたが、それでも神によって私は最終的に目標を達成することを知っていたのです。
それは、私が伝道中もっとも苦しく、困難な時に見た夢によってそれが分かっていました。(どんな夢か気になる方は、前回の記事をお読みください!)
さて、結論ですが、私は帯広に転勤する1日前に手稲の教会で一人のバプテスマを見ることが出来ました。また帯広に転勤してすぐ、さらに一人の方がバプテスマを受け伝道を2カ月残す時に7名のバプテスマを見ていました。
しかし、7人目のバプテスマを見た時に求道者(メッセージを聞く人)が「0人」となり、最後の2カ月は一から伝道のやり直しでした。
ただ、最後の伝道2か月で10名以上の備えられて素晴らしい求道者を見つけ、残り最後の1ヵ月でその内の4名がバプテスマを受けられ、結果的に私は伝道の目標10名を一人上回る11名のバプテスマを見ることが出来たのです。
❖達成しなかったはずの目標
私は伝道の最後の安息日(日曜日)に2名の方々のバプテスマを見て数日後に2年間の伝道を終え大阪に帰還しました。
明日大阪に帰るという時に、バプテスマを受けられた方々の家を訪問し、神様のメッセージを伝えていましたが、レッスン中にある重要なことを思い出したのです。
それは、9カ月前に手稲の教会でクリステンセン伝道会長から受けた面接でした。
その面接ではクリステンセン伝道会長から伝道を最後に1カ月延ばすようにチャレンジを受けましたが、もしあの時、私は伝道を1ヵ月伸ばす方を選ばず、そのまま任期通り2年間(24ヵ月)で伝道を終える方を選んでいたなら、私の伝道には最後の1ヵ月(25ヵ月目)はなく、私は素晴らしい4名の愛する方々のバプテスマを見ることがなく、同時に私が神様に約束した目標を達成することも無かったという事実を知ったのです。
その時に私が感じた思いを皆様想像できるでしょうか?
私は今でもその事実を知ったとき私の心と霊に感じた印象をはっきり覚えています。
私は、その時理解したのです。9カ月前の面接で神から霊感を受けたクリステンセン伝道会長が私に「伝道を1ヵ月伸ばすよう」チャレンジしたのは、犠牲でも何でもなかったということです。
それは犠牲などではなく、神様が不完全ながらも一生懸命伝道してた私の努力を知っていたので、私のために大きな祝福を与えるビッグサプライズとして用意してくださっていた聖なる尊い神からのプレゼントだったのです。
❖与えることが大好きな神
私はその時、神は私たちに成功や幸福、喜び、を出し惜しみするようなケチな神ではなく、愛する子供達である私たちに多くの祝福と喜びを与えたくて仕方がない、惜しみなく与える、人を喜ばせるのが大好きな、幸福の神であることを知りました。
しかし、多くの人は神が「与える神」である、という事に関しては異議を唱える方も多いかもしれません。特に人生で自分は幸せでない、何をやってもうまくいかない、と嘆き悲しんで言える方にはこの言葉はなかなか受け入れがたい言葉かもしれません。
そのことに関して神の視点から皆様にお伝えしたいと思います。
神は神が定めた律法と原則によりこの世を管理運営しています。その原理原則は私たちが様々な経験を自由と選択を経てどのように行動するかによって因果応報の法則により私たちは何でも(良くも悪くも)刈り取るというものです。
神は私達人類が神々のように成長するために定めた律法と原理原則を一時的な感情に流され、反故したりすることはありません。もしそのように一時的な感情で永遠の進歩成長のための律法を破るようなことを神がするなら、神は神でなくなるからです。
しかし、そうではなく、神は過去から未来に渡って永遠の神であられます。ですから、決して原則と律法に反し、また私たちの意志に反して強制的に私たちがそれほど望んでいない幸福を無理やり押し付けるようなことはなされません。(本気で望んでいるかどうかはその人の意志と決意と行動で分かります)
私たちは幸福になるために、幸福になりたいことを公に「神に宣言」し、そして神から与えられた権利である「自由意志」を行使して、幸せになるための「律法」と「原則」を元に「行動」するのです。
神は私たちのために天に留めておかれる溢れる祝福を私たちに贈るのを常に願いながら「今か、今か」と時々刻々期待しながら、私たちが原理原則に従い行動するのを天の窓を開きながら、大いなる祝福を私たちに溢れんばかりに贈ることを心から待ち望んでおられるのです。
皆様、神の視点から見たらそれがどのようなことか理解できますか?
つまり、私達が神から与えられた律法と原則を行使せず、毎日ただ時に流されただけの生活を送る時に、
天の父なる神は、私たちに与えたくて仕方がない、「大いなるプレゼント」を贈れず悲しい思いをしているのだという事を。
皆様、ぜひ、神を悲しませるようなことはせず、与えたくて仕方がない祝福の神が私たちに大きなプレゼントを贈ることが出来るよう、神が定めた律法と原理原則を知り、神の大いなるプレゼントを余すことなく受け取り、神を喜ばせていただきたいと思います。
神は私たちが喜び幸福になることを心から望んでいるのです。
さて、長くなりましたが、最後にもう一つ、私が伝道に出るという犠牲を通して天から与えられたもう一つの祝福についてお伝えしたいと思います。
❖もう一つのプレゼント
私は2年間の素晴らしい伝道を無事終え大阪に帰ったときに夢から現実の世界に戻りました。
それは、伝道の2年間は自分のことを忘れて人々の救いにだけ集中し努力すればよかったのですが、伝道が終わると、今度は自分の人生のことを考えなければなりませんでした。
これは私にとって苦痛であり、楽しいことではありませんでした。私は伝道が終わったときには伝道前に務めた以前の大好な職場に出来ることであれば「戻りたい」と心から願っていましたが、しかし理性ではそれが叶わないと思っていました。
なぜなら冒頭でも述べましたが私が勤めた職場は本当に良い会社で、一度就職した人が辞めないことを知っていたので「空席はない」と考えていたからです。
私は伝道を終えて数日後、菓子折りをもって、2年ぶりに懐かしい職場に挨拶にいきました。会社の社長を始め専務、課長、そして顔なじみの事務員さん達に伝道からの帰還の挨拶をしました時には皆様が暖かく私の帰還を歓迎してくださいました。
そして、暫くの歓談の後、事務所を後にする前にいよいよ本題である「復職」の話を緊張しながら「可能であれば、もう一度、職場に戻りたい、前と同じようにトレーラーに乗りたい」ことを上司に告げたのです。
そうすると、社長を始め事務所にいた人達全員が、驚きながら「信じられない」という顔をして私の顔をまじまじと見たのです。
ここで質問です。
どうして彼らは驚いたのでしょうか?
課長が事務所にいた全員が驚いた理由を話してくださったのですが、「どうして事務所にいた全員が驚いたのか」その理由は、実は私が会社に挨拶に行った日のちょうど2日前に、私が退社した後に直ぐ入社し、私が乗っていたトレーラーを運転していた「運転手がちょうど辞めたところだ!」という理由からでした。
そして課長は興奮しながら手に持った封筒を高く掲げ「私はたった今ハローワークに職員の募集をするために作成したばかりのこの書類をもって事務所を出ていくところだった!」といって社員募集のために作成した書類を私に見せときに事務所に歓声が起こりました。
今でも社長の言葉が忘れません。
「神様って本当にいるんやな、これは入江が一生懸命に伝道頑張ったからやな」
「犠牲」はより大きな成功を得る「手付金」
ありがたいことに私は快く、また以前の職場に復帰し、以前乗っていた愛着ある私が伝道前に乗っていたトレーラーに乗ることが出来たのです。
私は2年ぶりに愛着あるトレーラーの運転席に座りハンドルを握ったときにある聖句を思い出しました。そしてその時ほどこの聖句が心に染み入ったことはありません。
「そこで、わたしニーファイは父に言った。わたしは行って、主が命じられたことを行います。主が命じられることには、それを成し遂げられるように主によって道が備ええられており、それでなくては、主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」モルモン書 第1ニーファイ3章7節
私が全てを忘れ、神の御業に献身して働いている間、別の誰かが私の帰りを待つかのように私のトラックに乗り、私が2年間の伝道を終えて会社に復職の挨拶をする2日前にひっそり会社を退職し、トラックを私に戻したのです。その運転手さんとは残念ながらお会いすることはありませんでしたが、今でも「その人は天使だったのではないか、」と想うことがあります。
最後にスティーブン・R・コビー博士の言葉で終わりたいと思います。
「真の犠牲とは『より良いものを得る」ために、『良いものを諦める』ことである」
さて今回は前回に続き「真の成功は試された後に得られる②」~犠牲は大いなる祝福~というテーマで記事をお送りしましたが、いかがでしたか?
皆様に知っていただきたいのは、「 『犠牲』とは、より大きな成功を得るためのほんの少しの手付金、または将来必ず振り込まれる約束手形のようなもの」だということです。
そして、皆様にお伝えしたいことは、決して「楽をしながら幸福を掴もうとしないように」ということです。
むしろ、「当座は困難だと思えることを誰よりも率先して行うよう」チャレンジさせていただきます。
そうするなら、皆様は未だ見ぬ掛け替えのない素晴らしい宝を将来手に入れることでしょう。
皆様が「より良いもの」を得られるために、この世の一時的な「良いもの」を諦められますように。
皆様の人生が幸福に満たされますよう心から願っております。
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