皆様お元気ですか?
雪が少しずつ解け始め、確実に春は近づいています。
私は北海道に住んでいますが、少しずつ近づく春の変化をあちこちに見つけながら春の到来を心から楽しみにしています。
本州ではもう梅は咲いている頃でしょうか?
東京の桜の開花予想は3月20日とありましたので、全国各地の人々が桜を楽しみにされていることでしょう。
また、近年コロナ化禍を除いて海外から多くの外国人が日本を訪れ1年の内のほんの短い期間だけ咲く日本の国花「桜」を愛でに来られる方が多くなりましたので、ほぼ制限なく渡航が出来るようになった今年2024年は多くの外国人が桜を見に来ることでしょう。
北海道で桜が咲き始めるのはあと1カ月以上先になると思いますが、楽しみに待ちたいと思います。
訪日外国人過去最多
さて、皆様は知っていますか?
昨年末2023年12月はコロナ禍前 過去最高だった訪日外国人旅行者の月間訪日数を上回り、過去最高の旅行者を記録し、更に昨年1年では過去最高の年間訪日旅行者数を記録した2019年の8割まで回復しているという事実を。
引用元:https://www.tourism.jp/tourism-database/stats/inbound/
また皆様知っていますか?
年間訪日数は2023年はコロナ禍前の2019年の8割ですが、2023年訪日客の日本国内での消費額は2019年の4兆8000億円を上回り過去最高の5兆2923億円で過去最高を記録したことを。
引用元:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA170F20X10C24A1000000/
訪日数が過去最高の訪日数だった2019年に対し2023年は訪日数が8割に対し、国内消費が過去最高を記録したという事実から、推測できるのはコロナによって訪日が制限され日本に来れなかった外国人がどれだけ日本に来たかったのか、またどれだけ日本を楽しみたかったのかという事をこの数字で知ることが出来ます。
外国人移住者の増加
ありがたいことに多くの外国人は日本を称賛し、日本の良いところをSNSで上げ、そして日本を気に入ってくださり今度は旅行者としてではなく在留資格をとって日本で働きながら居住する外国人が増えているということを。
外国人居住者は2012年を境にコロナのパンデミックが始まる前の2019年までに全ての年で前年比を上回り続けました。
またコロナにより2020年~2021年は2019年を下回りましたが、2022年はまだ完全にパンデミックが収束していないにもかかわらず過去最高の在留外国人を記録し、2012年に対しなんと外国人移住者が65%以上もの増加があったという事を。
引用元: https://www.kobe-obc.lg.jp/gaikokujin/status/
早期帰国する外国人とその理由
皆様知っていますか?
ただ、夢叶って大好きな日本で働き日本に税金を納める住む外国人の中には、残念ながら日本に絶望し、夢半ばで大好きだったはずの日本を後にして計画より早く帰国する外国人も居るという事を。
そして、計画よりも早期に帰国する外国人の中には異口同音同じような感想を言う人が多いことを。
そのような外国人が言う共通の言葉はこのような言葉です。
「日本は旅行で来るには最適な国だが、住むには適さない」
どうしてそのように言う外国人が多いのでしょうか?
また、彼らが言う「日本は旅行で来るには最高な国だが、住むには適さない」その理由とは何でしょうか?
彼らが理由にする「日本は住むには適さない」を以下に箇条書きにしてみました。
・時間に厳しすぎる
・労働時間が長すぎる
・働きすぎる
・真面目過ぎる
・決まりごと(ルール)が多い
・同調圧力がすごい
他にもあるかもしれませんが、大体このような理由から「日本は旅行で来るには最高な国だが、住むには適さない」と早期帰国する理由をあげています。
皆様はこの言葉を聞いてどのように思いますか?
勿論、全ての外国人がこのような理由を上げるわけではなく、殆どの外国人は最初は生活習慣の違いから戸惑いますが、それでも努力しながら「郷に入っては、郷に従え」で苦労しながら日本の社会に謙遜に順応しようと努力し、実際に日本の生活に馴染まれ生活を楽しんでいる方が殆どです。
そして、生活習慣が全く違う異国の国から日本にやってきた外国人は、日本人以上に日本人らしい方が多いように思います。
それは日本人なら意識しない外国人には不慣れな習慣を常に意識しながら、意図的に行おうと努力するので時と場合に日本人以上に張り切り過ぎてそのように(日本人も以上に日本人)映るのかもしれません。
真の幸福には責任が伴う
私は「日本は住むには適さない」という外国人の言葉を聞く時に心の中にいつもこのような言葉が浮かんできます。
それは、
「真の幸福には責任が伴う」と
「日本は旅行で来るには最高な国だが、住むには適さない」と口にするそのような外国人は、日本は偶然、何の努力もなく、何の積み重ねもなく、たまたま世界が注目し、称賛し、憧れれる国になったと思っているのでしょうか?
「日本が世界のどこの国とも違うユニークな国」とよく言われるのは偶然だと思っているのでしょうか?
日本に多くの幻想を抱いてやってくる多くの外国人は日本の様々な媒体、またコンテンツを通して、日本人、そして日本の文化、日本の食、日本のポップカルチャーに憧れて日本にやってきます。
旅行者で来る場合は日本という国に対して社会的な責任がないので、日本に来る前に立てた夢の計画に従い旅行者として日本を感じ、日本を味わい、日本人に触れ、日本文化を体感し、未知なる世界に感動するのです。
これは、旅行者を受け止める日本の立場としても当たり前の事です。自国民ではない、外国人が日本に旅行してくださることに関しては、純粋に感謝ですから真心をもって「おもてなし」をするのです。
また日本人の国民性からしても、日本に不慣れで日本語を話せない外国人が困っているのを見ると見捨てておけず自分のなすべきことをいったん脇に置いて困っている人(外国人)を助けるのです。もともと日本人は基本的にこのような他者を思いやる民族です(そう信じています)。
そして、外国人旅行者は多くの外貨を落としてくださることから考えても本当にありがたい存在ですから、当然最良のおもてなしを心がけるのは当たり前のことです。
また、もともと日本人は利害が絡まなくても他人に対するおもてなしは「サービス」というよりも、日本人の他者への配慮はDNAに刷り込まれた本能と言ってもいいでしょう。
日本人は文化的にも情緒的にもあまり他者とは敵対したくなく、出来るだけ和を重んじようとするのです(もちろんすべての日本人がそうではありませんが、日本人全体を総体的に見た時にはその通りだと思います)。
そして旅行者である外国人は一方的に消費する側、つまり立場的にはカスタマーですから、当然そのような日本を感じ、また日本人と接するときに感動し、日本を気に入り称賛してくれるのでしょう。
❖社会への責任
しかし、たとえ外国人であっても立場が一旅行者ではなく、日本で生活し、日本の社会の一員として生活をする立場になると、旅行者とは違う視点が生じてくるのは日本人からすると当たり前のことです。
つまり、今度は受け入れられる側としてではなく、日本社会の一員として社会から受ける恩恵に対して、お返しする立場でもあるからです。
日本がよく海外の人々から「日本人は他の惑星から来た宇宙人だ!」とよく言われるのは、まず社会に対する在り方が確かに多くの国々とは根本的に違う概念を持っているからだと思います。
実際個々人としてこのようなことを意識していなくても、実際に違う考えであっても、実際世界で一番古い国としてギネス認定されている日本は長年にわたり、聖徳太子が制定した17条憲法の第一条「和をもって貴しとする」という最初の条項にあるように、
いったん自分を脇に置き、他者のために、そして人々が和気あいあいとして楽しい時間を過ごせるように、自制し、他を尊ぶ本能的な意識が生活の一部としてあるので、他国では味わえない居心地のいい時間を過ごせるのだと思います。
ただ、日本人が行う他者への配慮(責任)はイコールその人(相手)も「同じように周りに対し配慮する」ことを意識せずとも当然のように期待して(暗黙の了解)行っているのかもしれません。
そして、その「暗黙の了解」が異国の地からくる外国人には「同調圧力」として不快に感じるのかもしれません。
責任を負わずに幸福を求める人
今回は外国人の一部が言う「日本は旅行で来るには最適な国だが、住むには適さない」という事を一つの例に例えてこのような記事を投稿しましたが、これは何も外国人に限ったことではありません。
日本人でも同様な方は多いと思います。
どういうこと?
つまりこうです。
「私は幸せになはりたいが、同時に責任は負いたくない」
という人を日本人にも多く見てきました。
実際にはこのままのフレーズを口にするのを聞いたという訳ではありませんが、態度で、またその行いで
「自分の利益には積極的だが、他者の利益には消極的な人たち」
を多く見てきました。
このようなことを言うと私も含め多くの皆様は心を痛めるかもしれませんが、実はこれは日本人、外国人を問わず人として生まれ持った人としての悲しいかな一つの「性」なのかもしれません。。
幸福を願いつつ責任から逃れることは自然の法則に反している
私は「幸せにはなりたいが、同時に責任は負いたくはない」という考え、これは、そもそも天が定めた「自然の法則」反しています。
もし、自身が幸福になるための責任を負わない、または負いたくない、というのであれば、同時に幸福に対して過度に期待することは難しいでしょう。
「因果応報、回復の原則、自業自得」言い方は何でもいいですが、古今東西でいわれるこれら不変の原理原則からは良くも悪くも逃れる人は誰一人としていないのです。
聖書に記された幸福の原則
聖書にはこれらに対する答えが簡潔な言葉で表現されています。
「受けるよりは与える方が、幸いである」
使徒行伝20章35節
「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
ルカ6章31節
「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは保つのである。」
ルカ17章33節
良い社会には「責任」という「土壌」がある
日本を大好きで喜んで着て下さる外国人の皆様には感謝しかありません。これからも私は全ての外国人を歓迎し、私なりのおもてなしを感謝して行いたいと思います。
しかし、もし日本を気に入って日本に旅行者ではなく、日本で働き居住したいと思うのであれば、それがたとえ外国人であっても社会的な責任が伴ってきます。
今度は自身が一方的に受け入れられる側ではなく、社会の一員として日本国そして日本人が幸福になれるように、つまり人々が喜べるように責任を果たさなければなりません。
外国人が日本に住む場合、その責任は他国で住むよりも重いのかもしれません。そして外国人に限らず日本人であっても日本が「重い」と感じる時にその環境(日本)に対し居心地が悪くなるのかもしれません。
そして他国より重たいその「重み」(責任)が、早期帰国する外国人に「日本は旅行で来るには最高な国だが、住むには適さない」という言葉になって現れる早期帰国する理由なのだと思います。
❖「責任感」が国(社会)を作る
ただ理解していただきたいのは、この日本で生活をすると他国より重く感じるこの責任感こそが、日本が他国とは全く違う国としている重要な要因であるということを。
もし日本人が個人主義で、何よりも自分の幸福を第一に優先する民族であったならば、他の国々とさほど変わらなかったでしょう。
しかし、私は信じます。日本は中国に抜かれても、小さな島国であっても、資源が殆どなく他国に依存していかなければならなくても、未だにGDP世界第3位の経済大国であり、ノーベル賞の数は21世紀に入ってからはアメリカ、イギリスに次いで3番目に多く獲得し、様々なユニークなコンテンツや発明品など多くがが日本発信であり、今や世界の人々が良く言う、
「世界にもし日本が無かったら世界はかなり発展が遅れており、同時にとても味気ない世界になっていた」
と言われるのは偶然ではないという事を。
また、私は確信しています。
元々世界が愛し信頼する日本食、日本文化、車や電気製品などの質の高さ、おもてなし、公共交通機関の秩序、清潔さ、ポップカルチャーのユニークさを含め世界から高く評価されるのは偶然ではなく、自分の利益をいったん脇に置き、他者への思いやり、他者への労わり、愛、貢献、責任があるためにおのずと「良い文化」、素晴らしい「おもてなし」、「良い製品」、「美味しい食事」が必然的に生まれてくるのだということを。
つい先日13回目の3月11日を迎えましたが、日本で大きな破壊的な災害が起こる度に、海外は日本の災害時の秩序、冷静さ、思いやり、そして町が破壊されて、家が崩壊しても決して略奪が起こらない事実に驚愕し、日本を称賛します。
そして、それはひとえに他者が喜んで幸せで安心して暮らせることを社会的な「責任」として最優先し、他者の喜びを同時に自分の喜びとして感じられる日本人特有の能力がDNAが深く刻まれているのだということを信じています。
国連憲章が掲げる人権とは
私は最近本当に日本人に生まれて来た良かったと感謝する機会が多くあります。またその喜びと感謝と同時にその責任をどのように果たすかをよく考えるようになりました。
皆様、「責任」が「社会の秩序」を保ち(全ての組織含む)、「責任」が「人の財産と命を守り」、「責任」が「安全を担保し」、「責任」が人が本来持つ「自由の権利」を守るのです。
国際連合(国連)が提唱し宣言する「人権宣言」の30条ある最初に第一条には
第一条
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
から始まって
第三十条
「この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。」
引用:https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/document/bill_of_rights/universal_declaration/
に至るまで、神の子供である全ての英知である人に対する人権が宣言されていますが、実際には先進国であっても、これが完全に履行されている国はありません。
それは日本であっても同じです。国連が掲げる信条を完全に履行するまでには至っていないのです。
ただ、そうであっても、日本は現時点で総体的に見るとその国連が掲げる本来の信条に一番近い理想の国と外国人から見ているという事は間違いないでしょう。
「日本ほど安全で便利で、夜道でも女性一人で歩け、略奪されることがなく、命の危険に晒されることも無く、差別されることもない、そのような国は日本以外にはどこにもない」
これは、日本人が言うのではなく、世界各国の外国人の皆様が、日本に旅行し、日本に居住した外国人の皆様が言っているのです。
しかし、外国人が「異常」と考えるこれらのことに対して、日本人であれば、異常でも、あり得ない、ことでもなんでもなく、ごく普通の日常だと考えているので、それらを議論として持ち出すこともありませんでした。
それは日本人にとって「当たり前」の事だからです。
まとめ
日本が世界から見てある程度それ(国連憲章の人権宣言)が実現出来ているのは、時として外国人の皆様から「同調圧力」と捉われることもある「責任感」がその土台にあることを知っていただきたいと思います。
そして、その責任感こそが「自分を忘れ、他者を想う」他者への思いやり、配慮なのです。
皆様、「真の幸福や喜び」は「Free」(無料)ではなく、「責任」という「対価」が伴うという事を知っていただきたいと思います。
皆様も「喜びに溢れた幸福な人生」を掴みたいと願うなら、同時にその「喜びに等しい責任」を引き受ける覚悟が不可欠なのです。
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