皆様お元気ですか?

今回は「成長と共に口から出なくなる言葉パート③」最終版となります!

皆様は過去2回の投稿で学んだ成長共に出なくなる言葉を口から出ないよう意識されましたか?

そして、実際それらの言葉は皆様の口から出ることはなかったですか?

 

前々回投稿の「成長と共に口から出なくなる言葉パート①」では「でも」について解説しました。

そして「でも」という言葉には「相手を否定する」「相手の話を聞いていない」また「自己弁護」「言い訳」などの意味がありましたね。

そして、前回のパート②では「~しなければならない」について解説しましたが、この言葉には「強制」「支配」「制御」「コントロール」等万物の創造主の似姿になぞらえて創造された英知ある人をまるで物のように扱うという意味合いがあることを説明しました。

そして最終の今回はこれまた普段よく使う言葉「もう知っている」または「前に聞いた」「分かっている」などの私たちの成長と共に口から出てこなくなる言葉について解説していきたいと思います!!

 

 

「もう知っている」とは?

皆様考えてください。ではこの「もう知っている」「前に聞いた」「分かっている」などの言葉にはいったいどのようなメッセージが潜んでいるでしょうか?

皆様が何気なく口にする「もう知っている」「前に聞いた」「分かっている」には以下の意味が潜んでいます。

 

▪ うるさい!黙れっ!

▪ 私の方が優れている!

▪ あなたの話など聞く価値もない!

▪ あなたは私より下!

▪ 時間の無駄!

▪ 興味ない!

 

 

❖「もう知っている!」に含まれる意味

 

相手のためを思い、または相手の役に立つと思って、有益な情報を話そうとして話しかけた時に、

「前に聞いた!もう知っている!もう分かっている!」

このように言われた経験が恐らく皆様にもあるでしょう。

そしてそのように言われた時に皆様はどのように感じましたか?

そして、その言葉を吐かれてから皆様はどのようなことを決心したでしょうか?

 

「前に聞いた!もう知っている!もう分かっている!」

恐らく、これほど人を苛つかせ、話そうとするモチベーションを打ち砕く言葉はないでしょう。

そして、このようなことを言われた時には、よっぽどのことがない限り、今後は「この人には」有益になると考える「とっておきの話(情報)を伝えるのはよそう」(もったいない)と考えるのではないでしょうか?

なぜならせっかく、相手の益になると思い時間をとって話をしてあげようと思ったのに、話の腰を折られ、拒否され、がっかりしているのに、もうそれ以上そのような頑固者でわからずやのために時間を取って相手の益になる話をする理由があるでしょうか?

誰も良い話(情報)を伝える、その見返りとして「嫌な思い」をしたいとは思わないからです。

そして、優良な情報を感謝して聞く他の人に分かち合うでしょう。



 

話を聞かない行為は面目を潰し傷つける

人の話を聞かないという行為は相手を傷つけるだけではなく、相手の面目を潰す行為でもあります。人は元々本能的に人から愛されたい、信頼されたいという願望を持ち備えています。

「面目を保つ」ことは幼児からお年寄りまで全ての人類に対して尊重する態度です。面目とは幼児からお年寄りまで全ての人類が持つ本能的な自然の欲求なのです。

そして人の話を聞かない行為は、結果的に自身も周りから相手にされなくなることを自ら選択しているということでもあります。

また、前回の投稿「○○しなければならない」でも触れましたが、どんな良い事であっても、そしてそれがその人を喜ばせ、成長させ、それがどんなに相手の利益に繋がろうとも、強制によって人を無理やり強いることは出来ません。

そのような頑固者で何よりも自分が正しいと思いこんでいる人にであっても、そしてその情報が相手にとってどれほど良い情報であったとしても無理矢理強いる行為は神に反する行為となるからです。

自分が傷つくことがないようにするためにも、全ての人が持つ「面目」(英知)を傷つけることがないようにしましょう。

 

 

人の話を聞かない人は成長できない

相手の「話を聞かない」行為は、自ら知識を深め、新たな視点、考え、世界があることを知る機会を自ら溝に捨て去る無謀な行為なので、それ以上成長することがありません。

また成長する機会を逃すだけではなく、様々な成功する機会を自ら溝に捨てているようなものです。

 

知っていますか?

経済学でもたびたび引用される言葉で新約聖書のマタイの福音書から引用され「マタイの法則」と呼ばれる言葉あることを、マタイの福音書13章12節にはこのように書かれています。

 

「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。」

 

↑この聖句、皆様自身、または皆様の周りで思い当たる節はありませんか?

 

そして、一番この罠に陥りやすい人は、過去に少しばかり「成功した!」と考えている人が最も陥りやすい罠と言えるかもしれません。

これはとても皮肉なものです。誰よりも成功を願っているのに、自ら成功する機会を捨ててしまっているのですから。

そして、哀れなことですが、そのような人は過去の小さな成功体験にしがみつき、新しい時代の潮流に乗れず、置き去りにされ、一人寂しく誰からも相手にされず、過去の栄光にしがみつきながら孤独な生涯を過ごすのです。

これはとても悲しい結末です。

 

 

 

 

 

❖「もう知っている」を口から放つ瞬間自ら成長する機会を捨てている

 

皆様普段このような言葉「もう知っている!前に聞いた!分かっている!」を簡単に発していませんか?もしこの言葉を普段から発しているなら、この言葉を発している瞬間、皆様は相手を見下し、価値のないものとして決めつけ、聞けば成長できる機会(可能性)を自ら捨て去ってしまっています

私は仕事がら多くのリーダーと会い、また多くの話を聞く機会がありました。そして、私が定義する偉大なリーダーをつぶさに観察したところ、彼らには幾つかの決定的な共通点があることを見つけました。

それは何だと思いますか?

 

❖真のリーダー(成功者)は人の話をよく聞く

 

多くのビジネス書には成功したリーダーの共通点を上げているものが多くありますが、それら成功者が持つ共通点に、好奇心、情熱、ビジョン、行動力、人が好き、人の話を聴く、集中力、ルーティン、ゲン担ぎ、ワンマン、ユーモアなどがあります。

その中でも私の経験から特に次の項目を上げたいと思います。

それは、「人が好き」ということです。またこれは「好奇心」にもつながることですが、「人の話を真摯に聴く」という共通点があることをを発見しました。

真のリーダー、偉大な成功者は、人の話をよく聴きます。

私が言う「聴く」とは、単純に「聞くふり」をする、というようなものではなく、まるで天から与えられた尊い宝物をありがたく頂戴するかのように、真剣に、そして丁寧に、そして好奇心をもって喜びながら聴きたくて聴くということです

 

しかし、多くの人はあまり人の話を聞こうとはしません。または聞いているふりはしますが聞いていません。

ただ実際は、聞こうとしないのではなく、自分の興味のあること、または必要と思う事だけを聞き、興味のないことは聞きません。またはその人に対し興味がある時、またはその人を尊敬に値する人と自身が判断した時にだけ話を聞くのです。

その人の話を聴くか聴かないかは、自分ではなく、相手、つまり周り次第なのです。

 

ただ、真の成功者はどんな人の話も聞きます。その理由は、どんな人の話からも、成功の原則、ヒントを発見し、またその人の話を聞くことでその人の経験を疑似体験し、その経験を通して自身がインスパイア(化学反応)され、創造力が沸き起こることを知っているので、それを宝物として感謝していただくのです。

その人が真の リーダーか、または普通の人か、はその人の話を聴く態度で分かります。真のリーダー(成功者)は身近な小さなことから多くを学ぶために真摯に人の話を聞こうとします。

真のリーダーは、

「道端に落ちている小さな石ころからでも多くを学ぶことが出来る」

のです。

 



 

「見えている」という名の罠

私はこの世に生まれ様々な出来事を見聞きし、また自らも様々な経験を体験することである想いに至りました。

そしてそれらの経験を通し学んだことで、常々自戒の意味を込めて自分自身に言い聞かせている言葉があります。

そして時々自分にこの言葉を思いだしては心の中で唱えるように反芻しています。

それは、

「人は見ているようで見ておらず、聞いているようで聞いておらず、知っているようで何も知らない」

「人は自分の見たいものを見たいように見て、聞きたいものを聞きたいように聞き、知りたいものを知りたいように知っているだけ」

という言葉です。

 

これは人に対してではなく、主に自分自身に対して言い聞かせている言葉です。

なぜなら、前回の投稿でも引用した聖句にありましたが、

ほとんどすべての人は,少しばかりの権能を得たと思うや,すぐに不義な支配を始めようとする性質と傾向がある。」

という恐ろしい人間の性質を理解しているつもりでいるからです。

 

 

真の理解は自身が「盲目」であることを知ることから

皆様の人生から高慢無知な言葉、

「もう知っている!」

「前に聞いた!」

「分かっている!」

が無くなることで、まだまだ知らない世界があることを知り、知らない知識を得ることで更に成長し、成長することで真の喜びを経験し、霊的な覚醒ができますよう心から願っています!!

 

新約聖書からイエスキリストが無知で高慢な人々に語った言葉を分かち合いたいと思います。

 

「イエスは彼らに言われた、『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。』  ヨハネ福音書9章41節

 

皆様はこの聖句から何を学びますか?



 

最後に

さあ、本日で3回シリーズとなる「成長に伴い口から出なくなる言葉」は終わりとなりますが、ぜひ真の成長を遂げると人生から無くなる言葉

 

  1. でも(否定する言葉)
  2. ~しなければならない(強制する言葉)
  3. 前に聞いた!もう知っている!分かっている!(無知の言葉)

 

これらの言葉を今後は以下の言葉に置き換えるようお勧めしたいと思います!

 

・「でも」 ⇒ 「なるほど、のように考えているのですね」(どのような相手をも否定せず尊重する)

・「○○しなければなればならない」 ⇒ 「○○した方がいいと思いますよ」(強制せずに忍耐をもって励ます)

・「もう知っている」 ⇒ 「えっ、何?聞かせて!」(知っていると思わず、身近に潜む宝を発見!)

 

ぜひ、日々意識して訓練し、行く行くは習慣となり、身に付くことが出来るように願っています。

今回も最後までお読みいただき感謝しております!

 

真の成長を遂げると人生から無くなる言葉「でも」「○○しなければならない」「もう知っている!前に聞いた!分かっている!」達よ、

永遠に、さようなら~!

 

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